感謝の土器(うつわ)の物語

獣面部分
獣面付円筒上層c式土器

資料名獣面じゅうめん 円筒えんとう 上層じょうそう しい しき 土器どき
見つかった遺跡函館市浜町 浜町A遺跡
大きさ高さ37.5㌢×幅32㌢×胴部径24㌢
時期縄文時代 中期後葉 今から約4.500 年前

市立函館博物館蔵

感謝の土器うつわ の物語

 今週はネコの顔が付いた縄文土器をご紹介しましょう。正しくはネコではなく「獣面付き円筒上層C式土器」とよばれます。

 この土器は戸井の浜町A遺跡から発見されました。浜町A遺跡は33軒の竪穴(たてあな)住居(じゅうきょ)からなる縄文時代の集落で、55基のお墓と後期初頭の墓域(ぼいき)(ストーンサークル)が発見されています。発掘調査が行われたのは遺跡の一部でしたが、ムイの島の見える海に向かった(ゆる)やかな斜面に営まれていた村でした。

 ネコ顔の土器は、縄文中期の土器です。この時期の土器は円筒土器の中で最も派手なスタイルをしています。土器は円筒形。底から口に向かってだんだん広がり、口の(へり)はさらに大きく開いて、()けたような四つの大きな突起(とっき)となります。この突起はほぼ等間隔に作られ、ひも状にした粘土(ねんど)編み目(あ め)のようにめぐらせて、あたかも土器の頭部を(なわ)でくくっているように飾られます。飾りのない部分にはあらかじめ縄目(なわめ)文様(もんよう)だけがつけられ、文様部分には時代によって、撚り紐(よりひも)を並べて押しつけたり、馬の(ひずめ)形の文様がつけられたり、刺し突き文様がつけられたりと、文様部分が力強く象徴的に作られます。

 この土器につけられているネコ顔は「獣面(じゅうめん)」と呼ばれ、四箇所に均等につけられています。顔は突起(とっき)全体を利用し、中央にある窓を口のように見せて、両側に両目(りょうめ)のような丸い貼りつけがあります。眼の上にある突起は二つに分かれ、ピンと立った耳のようです。なにより、「方形(ほうけい)刺突(しとつ)」とよばれる上層c式の一番の特徴が縄目(なわめ)のない部分につけられています。

 この土器が発見されたのは30号とよばれる竪穴でした。「床面(ゆかめん)」とよばれる竪穴の(あるじ)たちが生活していた近くからの発見です。人が住まなくなった竪穴は、使える柱などの部材(ぶざい)が抜き取られ、屋根や壁がなくなって周りから土が入りこみ、埋もれていきます。春の雪解(ゆきど)けには沢山の土が入って来て堆積するのですが、この土器はどうも廃棄直後、一冬越す前の竪穴に置かれていたようです。

 竪穴は長さ8.6㍍、幅6.3㍍、深さ0.9㍍の六角形か長楕円形(ちょうだえんけい)で、床面積(ゆかめんせき)40㎡とやや大型の建物。建てられたのは平坦部、村の中央でした。()(あと)は中心に1箇所、竪穴の南側には出入り口も見つかっています。この竪穴を囲んで同時期の住居が周囲にあったことから、共同作業など村の中心的な存在だった施設とみられます。親しみのある建物だったでしょう。

 以前ご紹介したトトロの土器は森に帰る直前のくぼみに置かれました。この土器もほぼ完形で、しかも内面がきれいに磨かれています。熱を加えていないドングリが一掴み(ひとつかみ)入っていれば春先には芽を出して、じきに森へと戻ることもできたでしょう。

 しかしこの堅穴は廃棄された後、土器の焼き場として再利用されました。大量の土器片と炭化物、焼土の存在がそれを証明しています。それなのであれば、再利用するためにこの土器が置かれ、感謝が捧げられたのでしょう。この形も縄文人がイメージした精霊の形ならば、土器焼きや、火にかかわりのある形なのかもしれません。

 この土器に気がついたのは整理作業を一緒に進めてくれた戸井の女性たちでした。「ネコバス」と名づけたり、火に関する儀式を想定したのは調査担当者だった古屋敷(ふるやしき)さんでした。縄文人に負けていない聡明な人たちの想像力と献身的な仕事ぶりには畏敬の念を抱かずにはいられません。

(日本考古学協会会員 佐藤智雄)

注釈
※火を焚いた跡

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