線刻礫の物語

春日町遺跡 線刻礫
撮影:小川忠博

資料名刻線のある れき
見つかった遺跡函館市青柳町 春日町遺跡
大きさ長さ15.5㌢×幅10.9㌢×厚さ1.5㌢
時期縄文時代前期  今から約6500年前

市立函館博物館蔵

線刻礫の物語

 私どもは一般の方にくらべてほんの少し、そう、ちょっとだけ地べたに落ちているものが気になります。本来はそこにあるはずのないもの、きれいなもの、不思議だと感じたものは例外なく手に取って観察します。現役時代にはそれが土器や石器だったのですが、犬の橈骨や明治大正期のガラス瓶にまで手を広げるようになると相方の顔が少しずつ曇ってくるのがわかるようになりました。拾った後は洗って干して、しまい込んでしまうからでしょう。最近は、老眼の性か何でもかんでも手に取ることはなくなりましたが、かつては手当たり次第にモノを拾い上げては観察していた記憶があります。他人様の目線は気にしないほうなのですが、そのうち介護の方に叱られるようになったらあきらめるかもしれません。

 昭和28年、函館市春日町遺跡から1点の平たい石が拾い上げられました。拾った人は、北海道大学医学部解剖学教室の児玉作(こだまさく)()()(もん)教授。父親はこの街で眼科医を開業しました。父の児玉善吉は、子供たちのクリスチャン教育のために明治34年、秋田県鹿角市から一家を上げて函館に移り住みます。5歳だった作左衛門少年は函館中学(現中部高校)を卒業し、東北帝国大学で解剖学を学び、やがてアイヌ民族の研究者として知られるとともに、日本人とアイヌ民族を解明するために、多くの遺跡の調査にも関わることになります。

 この資料は、扁平で薄い板状の「(れき)」※です。形は頂部(ちょうぶ)と左側の(かど)()けていますが、ほぼ二等辺三角形と見られます。手のひらにのる大きさで、欠ける前は案外バランスのよい形だったのでしょう。石質は粒子の細かな泥岩です。肌理は細かくねっとりした感じの堆積岩で、頂部の欠けは古く、割れ口は風化しています。表面には酸化鉄が付着し、いわゆる段丘礫が流されてあらわれたものとみられます。

 礫の表面には人の手で付けられた浅い引っかき傷の「擦痕」が礫の形にそって三方向に残されています。これらは形を整えるための整形痕とよばれます。

 礫の表側、中央より下の真ん中に、細くて深い傷の「条痕」で舟の形が刻まれています。これは線の浅深と引きなおしの重複が見られる意図して刻まれた線です。舟は一端が高く(舳先(へさき)でしょうか)中ほどがへこんで、後ろ((とも))に続いています。向かって右側が刻み初めで、最初の線が強く、深く、後ろにすっと抜けています。船体の中央も波のうねりの表現か、底が上がって細くなっています。舟の線にかぶるように綾杉状の網目が放射状に複数本描かれているのがわかりますか。舟の上には人がいて、投網を投げている所だと解釈する人もいます。

 柔らかな石に硬い物で何かが描かれた資料は「(こく)(せん)(れき)または線刻(せんこく)(れき)」とよばれます。遺跡から発見される線刻礫の線は通常幾何学的で意味の読みとれない場合が多く、この資料のように形を示す資料はごく稀です。もしも舟(丸木)を描いたものであれば、日本で最も古い舟の絵画といえるでしょう。少し乱暴な話かも知れませんが、北海道の縄文時代の遺跡の多くは、海岸に近い段丘上に成立しています。これは当時の主な交通手段が舟であったということを暗に示唆しています。縄文時代の舟は千葉県市川市で早期からの発見例があり、前期には福井県若狭町の鳥浜貝塚から出土した丸木舟が有名です。ご安心下さい。函館でもかつて五稜郭に近い梁川町遺跡から前期の丸木舟が発見されたという記録があります。しかし、残念ながら博物館に写真が残されているだけで現在は検証できません。戸井貝塚の調査区が熊別川の河口近くに伸びたと聞いた時には「舟が出ないか」と毎日発見を祈ったのですが確証に至るものの発見はありませんでした。

 礫の発見された春日町遺跡は現在の青柳町29番地周辺。早期の住吉町遺跡に隣接した少し小高い平坦地にありました。この春日町遺跡に集落が営まれていた縄文前期は、縄文海進によって函館山は海峡に浮かぶ小島となっていました。周辺は今も昔も良い漁場です。若い人達が沖に舟を出して網を投げる姿を、浜で待つ子供達に年配者が描いて教えていたのでしょうか。「こうやって獲るんだよ」と。

 児玉教授は住吉町遺跡、春日町遺跡、サイベ沢遺跡をはじめ、函館で行われた遺跡の調査や工事中に発見された数多くの遺物や人骨の調査に、市の依頼を受けて立ち会い、協力していただいた函館の恩人です。自分を育んでくれた街の遺跡に抱く感慨もひとしおだったと推察されます。写真は小川忠博さんが撮影した物を利用させて頂きました。

(日本考古学協会会員 佐藤智雄)

注釈
※1礫は自然にある岩より小さな塊の石のこと。

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