縄文人のカ・タ・チ

女名沢土偶 乳房正面
女名沢土偶 乳房側面
住吉町遺跡出土貝殻文尖底土器

資料名土偶乳房 (一部)
見つかった遺跡函館市庵原町 女名沢遺跡
大きさ15.2㌢×8.3㌢×4.7cm㌢
時期縄文時代 晩期 (今から約2,500年前)

市立函館博物館蔵 
尖底土器は函館市指定有形文化財

縄文人のカ・タ・チ

 とても美しい女性の胸です。函館出身の彫刻家、故梁川剛一先生にお目にかけたいくらい。正面からみても側面からみても。博物館の資料の基となる台帳には「尖底土器」と記載してありました。想像がつかなかったか、その当時一世を風靡していた住吉町遺跡の尖底土器に引かれて土器と見立てたか。

 ちなみに、尖底土器とは底がとがった形の土器のことで、今から9000年ほど前の縄文早期に盛んに作られます。津軽海峡の沿岸では、底面が平らな平底土器と尖底土器が前期初頭頃まで交互に現れます。早期の尖底土器の底部先端は乳首のように突き出ていることから、乳頭状突起または乳様突起とも呼ばれたりします。住吉町から発見された尖底土器には、底は乳房形で尖端に乳頭状の突起が見られます。

 住吉町遺跡で発見された貝殻文様の尖底土器は、山内清男博士の昭和7年の論文で、当時の縄文土器の中で、最も古い土器の一つであると報告され注目された土器でした。

 この土偶を採取したのは函館考古学会の伊藤昌吉氏。昭和6年から10年の間にまでの間の収集品で土器、石器、装身具など173点が氏のコレクションとして博物館に収蔵されています。この破片も沢山の遺物の中から残すべきものとして伝えてくれた1点でした。しかしながら資料についての記録や観察については記載がなく、残念ながら詳細は分かっていません。

 乳房は中空に作られています。器の厚さは2~5㍉。古い時代のものなので、塑像とよんで良いでしょう。わずかですが平滑な胸の部分と乳房、乳輪・乳首が形とレリーフの技法で表現されています。胸からトップまでの高さは4㌢。形がよくバランスが取れています。「この乳房の持ち主の年齢は?」と女性に聞いてみましたところ、「この乳房の持ち主はかなり若い女性」とのことでした。縄文時代は平均寿命が短いので、現代の感覚よりもう少し年齢が下がるかも知れません。乳房の下側の表面には浅く広い沈線で乳首から胸までに放射状の線が描かれてれ、形が強調されて見えます。中空のつくりでバラバラになって、破片しか残らなかった土偶。何のために、どのようにして作ったのでしょう。

 刮目(かつもく)していただきたいのはこの像の大きさです。日本最大の土偶は山形県舟形町西ノ前遺跡から発掘され2012年に国宝に指定された「縄文の女神」とよばれる土偶で、高さが45㌢。これが№1です。個人差、民族差のある乳房の大きさから全身を想定することは難しいのですが、それでも相当な大きさが想像されるでしょう。しかも中空です。これほどの大きさの像は縄文ではお目にかかった事はありません。また、目・鼻・耳・口のような顔の部分や仮面(頭部)、例外的ではありますが手・足(形)、指や男性器など、部分だけが製作され出土した例はありますが、この時代、胸だけを製作するというのはどうも一般的ではありません。

 国宝土偶の製作技法は、脚の部分が「輪積み」、胴体は「板作り」、頭部は「手づくね」で作られています。この大きさ、焼いてあること。中空の作りであること。この土偶はまさしく「塑像」、こんな大型の土偶も縄文時代には存在するという事だけは確かです。目的も理由も想像がつかないのですが。

 函館で現在確認されている土偶の9割以上が板状か中実土偶です。最後は壊されてしまい、持ち帰りの対象となった大型の中空土偶。「竜神沼の人身御供」のようなことをつい想像してしまいます。

(日本考古学協会会員 佐藤智雄)

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