象徴とカタチの物語

土版正面
土版背面

資料名土版または三脚(形)土製品
見つかった遺跡函館市西桔梗町 サイベ沢遺跡(北海道指定史跡)
大きさ5.2㌢×5.8㌢×1.4㌢
時期縄文時代中期初頭 今から約5,000年前

市立函館博物館蔵

象徴とカタチの物語

 西桔梗町のサイベ沢遺跡は広大な遺跡です。この遺跡からは、さまざまな遺物が発見されているのですが、今日ご紹介する資料は、そのいずれにも似ていません。

 この資料の背面には朱書きされた白付箋が二つ。『之は土偶から進化した土版』と『昭和9年桔梗村厚手式縄文土器と伴出したものである』との筆書きがありました。『之は土偶から進化した土版』とは先輩の見解。『昭和9年桔梗村厚手式縄文土器と伴出したものである』これは発見した際の事実。この頃調査されていたのは耕作の進むサイベ沢遺跡で、この資料は厚手式縄文土器※1と同時代で土偶と同じ意味を持つものの一つと考えられていたのですね。

 では、資料を観察して見ましょう。平面の形は中心から三方向に脚を伸ばした三脚の形、漢字の「人」とでも言いたげです。「ナルホド、だから土偶なんだ!」いえ、そうではありません。断面の厚さは端っこも真ん中もほぼ一様、ルーペで観察すると、作られた土は細かな長石と、火山灰様の白土がわずかに混入するねっとりした胎土をしています。この遺跡の土器とも少しだけ違っています、どこの土でしょうか。文様がつけられているのは表側だけ、この時期に作られる土偶も装飾品も文様や表現は表だけで裏には何もありません。

 表には二種類の撚り紐が押し付けられた痕が認められます。一種類目はそれぞれの脚の中央につけられた右撚りと左撚りの、異なった撚り紐をあわせて押し付けた「(あや)(すぎ)状」とよばれる紐の押圧文様です。

 二種類目は綾杉状の文様で区画された中に押し付けられた「馬の(ひづめ)」の形をした押圧痕です。「馬蹄状圧痕」とか「三日月形圧痕」とよばれます。紐の先端部を丸くして指先で押し付けています。それぞれの3つの区画に4個ずつ。下の区画は最初の一つを中心に押し込み、縁に3箇所、右と左側には外縁から内側に向かって一列に文様が押されています。綾杉状の区画に馬蹄状の圧痕の組み合わせは、円筒上層b式期、つまり厚手式縄文土器の時期に象徴的に用いられる文様です。

 いま一つの特徴は、脚の一つの側面に貫通する穴があけられていることです。この穴には擦れた跡があって、紐で下げていたことがわかります。紐穴を上にすると付けられた模様がほぼ左右対称となります。これが作者の意図でしょう。穴に紐をとおして首から下げることを想定すると、形が決まります。ある自動車メーカーのシンボルにもソックリです。三ツ脚のシンボルは、縄文と同じ頃の世界中の狩猟民族が象徴として用いていたマークで類例も多く、縄文にもケルトにもアイヌ民族の人たちが好む文様にも似通ったところがあります。現代でも用いられているその印には「空・海・陸」や「天・地・人」を意味するようで、狩猟民たちはこの形を、どうも自然や世界を現す形と解釈していたようです。

 一方、人体の象徴は「逆三角形」です。吊り下げられたこの形を60°回転させる「Y」の字状でこの状態を安定して具現化させようと思ったら、二つ、あるいは三つの脚に穴をあけ紐を通さなくてはなりません。つまり、この土版はヒトや土偶とは違う意味があるということに気がつきます。この資料と同じ中期初め頃の板状土偶の胴にも、使用痕跡の有無に関わらず、穴のあけられる例があります。おそらくはこれも吊り下げたり、身に付けるための工夫なのでしょう。土偶や土版の目的の一つとみられます。

 これは身に付けるための土版。ヒトではない自然や世界の象徴。岩偶と同じ意味合いですね、「舟によい風が吹きますように」とか。「身に付けられる護符」のルーツが「厚手式土器」のあたりに見られるという事実も興味深いですね。綾杉状の縄文、馬蹄形に押された文様の数、自然界の象徴。どんな人の身に付けられていたのでしょうか。

 (日本考古学協会会員 佐藤智雄)

注釈
※1 明治から大正期に北奥の前期・中期の土器を後晩期の土器と区別してこう呼んだ。

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