ドキッとする物語

円筒上層式土器
撮影:小川忠博

資料名円筒上層a式土器
見つかった遺跡函館市西桔梗町 サイベ沢遺跡
時期縄文時代中期初頭  今から約5,000年前

市立函館博物館蔵 北海道指定有形文化財

ドキッとする物語

 西桔梗町サイベ沢遺跡から出土した円筒上層a式土器です。見た目も美しく、業界内(このせかい)では津軽海峡北岸地域の標識資料としてとても有名です。今日はこの土器について、ちょっと深く掘り下げてみましょう。

 この土器の名前は、青森県北津軽郡市浦村相内(現五所川原市相内)、シジミ貝の産地で知られる津軽半島の十三湖岸にある『オセドウ貝塚』の調査によります。大正14年、東北帝国大学の長谷部(はせべ)言人(ことんど)博士は日本人の生い立ちを求めてこの遺跡の調査に入りました。博士は、縄文時代の土器や石器が掘り出される土を、色や堆積の違い※から上下2つに分層し、上の層から発見したものを「円筒上層式土器」、下の層から発見したものを「円筒下層式土器」と名付けます。見つかった土器には形に違いがあり、それは地層累重の法則どおり作られた時間の差によるものと指摘しました。

 さて円筒土器は、クリやドングリ・トチの実など植物質食料の利用により社会経済が安定した時期の所産で堅果類の貯蔵・保存を目的に圧倒的な数が作られます。世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」が所在する東西約250㌔、津軽海峡をはさんだ南北約500㌔の土地がまさに円筒土器の使われた地域でした。北海道の石狩低地帯から、馬淵川(青森県八戸市)と米代川(秋田県能代市)を結んだ線より北側には、円筒土器を使い、物質文化・精神文化を同じくする人たちが暮らす地域でした。かつては出稼ぎや嫁取り、現在は進学や就職で今でも仲がいいですよね。この広がりを「円筒土器文化圏」とよんでいます。円筒土器は、最北は礼文島、最南は山形県酒田市付近まで広がります。この範囲が習慣や交易など人々の深い交流域を示しています。

 前期の円筒土器は口の縁から下に、特徴のある文様がつけられます。文様の幅は、狭いもので指の関節1つ分から指1本分ぐらいで、その他にはたっぷりと縄目(なわめ)の文様がつけられます。研究当初は、発見された遺跡ごとに使われる文様に違いがあって、「部族や血族間で使われる約束」ではないかと可能性を探った青森の先輩もいました。口の縁には、形をよく見せるために粘土紐を貼りつけた上に、()った糸や、編んだ(ひも)、糸を軸に巻き付けた道具などが押しつけられたり、転がされたりして装飾が加えられます。全周の文様は1単位の文様がちょうど4回繰り返して巡るように構成されています。そこから下の器の全面には圧倒的な縄文が広がります。

 円筒土器は、我が師 加藤孝の言葉を借りれば、『最も縄文土器らしい縄文土器』と呼べるでしょう。魚や貝などの海の幸と、ドングリなどの山の幸を利用するため、この時期の多くの集落は海岸段丘や河岸段丘縁の日当たりの良い海と森の間の緩斜面に作られました。

 円筒土器文化の根付いた地域は、後期になると十腰内式土器とストーンサークルなどの集団墓を持ち、晩期には縄文文化を代表する亀ヶ岡式土器文化が展開します。日本における縄文文化の誕生から終焉までを追うことが出来る縄文文化の核となる地域なのです。

 写真の土器は、昭和24年市立函館博物館により発掘調査が行われた際に発見されました。円筒上層式土器には、土器の口が波打つような波状口縁と、平らな平縁のものがあり、いずれも口の端が厚くなり、細かなヒモを巻き付けたような文様がつけられます。口縁から頸部には、あたかも持ち運ぶために縄でくくったような文様がつけられ、胴には縄目の文様がつけられます。滑り止めには最適です。サイベ沢遺跡から出土した土器群は、この時の調査により北海道における円筒土器文化の標式資料となりました。円筒土器は縄文が美しい。これが海峡北岸を代表する土器です。

(日本考古学協会会員 佐藤智雄)

注釈
※1土は腐食の度合いや起源の違いから色に違いが現れます

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