
写真提供:函館市教育委員会 文化財課
| 資料名 | T ピット |
| 見つかった遺跡 | 市内の多数の遺跡から見つかっています |
| 大きさ | 幅10㌢~45㌢ 長さ1.2㍍~4㍍ 深さ1.2㍍から2㍍ |
| 時期 | 縄文時代 ~2,000年前か |
冬と縄文人
今回は冬の日のお話です。雪の多い年は、雪かきが大変ですよね。防寒具に身をかため、買い物だって一苦労。縄文の頃はもっと大変だったと思ってはいませんか?すべからく雪をかいてクタクタになっているのは現代人だけではないかと思うのですよ。雪は友達なんですけどね。
縄文時代、確かに今とは若干の寒暖差はありますが、当時の花粉や貝塚に見られる動植物相から見れば、気温はさほど変わりがないように思われます。十分に寒い。それでも彼らはこの地を離れることはなく、生活を続けます。貝塚に解体された動物の骨が廃棄されるのはこの季節で、むしろ冬の方がシカや回遊してくるオットセイなどを捕獲しながら暮らしていたことがわかります。
津軽海峡沿岸の縄文人にとって、暮らしの上で最も有利な条件が「冬」でした。この季節になると「雪」が降ります。雪が降ると、夏は歩けなかった藪の上にも雪が積もって歩きやすくなります。夏の間、茂みの中で見つからなかったシカも、冬枯れの木立の中ではとても見やすく、追いやすくなります。シカは冬眠をしません。冬の間食料を求めて歩き回るため、格好の狩の対象でした。さらにもう一つ、冬前に縄文人が作った「落とし穴」も雪が隠してくれます。
この落とし穴は地球の重力を利用したもので、簡単に言うと「上に乗っかると下の空洞に落ちる」という仕組みになっています。今も昔も変わりません。英語で「Trap(罠)pit(穴)」これを略して発掘の現場では「Tピット」と呼んでいます。
罠は掘って作ります。人の匂いや掘り散らした跡など、仕掛けを作るには様々な問題があるのですが、雪はそんな一切を隠してくれます。この罠には長い間動物を観察していた縄文人の知恵が詰まっています。1つめは形。地表部分が細く長く掘られています。穴の幅は狭ければ狭いほど、少しの雪で隠してもらえます。雪の中のクレバス。2つめはまっすぐに深く掘られるということです。シカのように細く長い脚の動物は、1本の脚だけでもはまってくれれば、体重によって骨折したり、くじいたりしてかなりのダメージが与えられます。なにより狩りの勢子がいりません。かかってくれればとどめを刺すだけで、追ったり格闘したりする体力も不要です。3つめは落とし穴の配置です。多くのTピットは沢筋や等高線に平行方向と直交方向の二種類が近接して発見されます。シカの通り道に縦方向と横方向。雪の積もり方が風の吹き抜ける方向でどちらかがうまく隠れれば十分なのでしょうか。ここ函館では冬の風は通常北西方向から吹きますが、この地域に大量の雪をもたらすのは東風です。春先のドカ雪は南からの風で、それぞれの降雪がうまく落とし穴を隠してくれるのかもしれません。
ちなみに、シカの歩くところは蝶々の通り道と良く似ています。沢沿いで、森と開けた草地の境目を好んで歩きます。敵の姿も見え、すぐに森に隠れる利点があるからでしょう。このシカ道が出来るについては、ヒトもある程度関わっています。ヒトは、森を切り開いてムラを作りますが、次に何らかの理由でムラが移るとそこは開けた空き地になります。その空き地と森の境目がシカや動物たちの通り道となるのです。
そんな古いムラの跡と森の境目に落とし穴は作られています。古いムラの跡や手入れをした森が狩りの場に変わって行きます。大船遺跡や垣ノ島遺跡の周辺には、縄文人が意図的に火をつけたような跡が広範囲に黒ボク土として残っています。森が再生しかかっていた場所にもTピットはよくつくられます。シカや獣の行動を熟知した上での構築物なのです。
冬、オットセイ猟のため若い働き手が海に出かけたとしても、一日に一度、ムラに残ったお年寄りと子供たちが罠を見回るだけで事はすみます。縄文人ならきっとこうしたのではないでしょうか。この落とし穴にはご老人方の知恵が沢山詰まっているのです。
(日本考古学協会員 佐藤智雄)
函館の縄文を旅する物語

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