失われた技-津軽海峡の伝説の漁師たち-

上段 離頭銛頭
下段 左-単式釣り針 右-複式釣り針
撮影:小川忠博

資料名骨角器銛頭・釣針
見つかった遺跡函館市浜町 戸井貝塚
時期縄文時代 後期初頭 今から約4000年前

函館市指定有形文化財
市立函館博物館蔵

失われた技-津軽海峡の伝説の漁師たち-

 戸井貝塚の貝層から発見された縄文時代中期末葉から後期初頭の骨角器、鹿角製漁労具です。大きさや形など様々ですが、これらの漁労具は、遺跡が面している津軽海峡、つまり外洋での漁労に使われたものと考えられます。写真の画面上部は4本の鹿角製の銛頭、下段には左側に大小様々の鹿角製単式釣り針、下段右側は3組の鹿角製組み合わせ式釣り針です。組み合わせ式釣針は、針先と軸に分かれます。

  遺跡からは、エゾシカなどの陸獣類のほかにトド・アシカ・オットセイなどの大型・小型の海獣類や魚類、岩礁性の貝類、イカやタコのカラスやトンビ(顎板)まで、実に様々な食材が海から獲得されて、食べることの出来なかった残滓(骨や貝殻などの残り)だけが積み重なって貝塚を形成しています。まさに、縄文の生業がこの海で行われておりました。彼らはどのようにしてこの道具類を工夫し使ったのでしょうか。

 筆者が本州から北海道に渡った平成元年、戸井貝塚の発掘調査の傍ら、失われつつあった漁具と伝承を求めて、埋文担当の古屋敷則雄さんとともに戸井町(当時)の弁財町で戸井マグロの話を聞き取りしていました。ある漁師さん曰く、「マグロの捕り方は三(み)とおりある。一つは網(定置)、一つは船(で釣る)もう一つは・・・」

 この銛頭は、離頭銛(りとうもり)とよばれます。秋から春先にかけて津軽海峡に回遊し、子育てをするオットセイの漁などに利用したとみられます。長柄の先に取りつけられ、銛頭の中ほどか尾には索縄が付けられています。銛頭は小さく一見華奢ですが、獲物に打ち込まれると柄から離れて獲物の身体に入り込み、アンカーとなって抜けなくなる仕組みになっています。糸をとおした針でボタン付けをする時のことを思い浮かべて見て下さい。布をとおして向こうに抜いた針は、糸を逆に引いても針が角度を変えて抵抗し簡単には抜けません。全体は流線形で先端が鋭く、胴は中央が広く断面は下が広くなる三角。この形は知恵の結晶なのです。銛頭の径は大体鉛筆と同じ位で先端がとがっています。ごく小さな傷で獲物の体に突き刺されているのですが、反り返った形状で体内に入り込み、獲物が逃げて策縄に力がかかると銛頭の先端と尾が引っかかって小さな傷口からは抜けなくなってしまいます。これが離頭銛の仕組みです。

 銛頭の尾部にあけられた穴には索縄がつけられ、逃げようとする獲物に抵抗を与えます。その後、獲物が逃げ疲れてからゆっくり手繰り寄せることができます。銛頭の先端は素材の堅さを生かして研ぎ出すものと、石鏃などをはさんでアスファルトで固着するものがありました。

人類は、この離頭銛の仕組みをつかって、やがて地球最大の生き物であるクジラまで捕まえることができるようになりました。

 単式釣針は鹿角製で、大きさや形状に違いが見られます。獲物の口の大きさや特性に合わせて製作されたものと考えられます。中には逆刺のない針もみられますが、この針を丸ごと飲み込む獲物には逆刺なんかは不要なのでしょう。単式釣り針は腰(針先と軸の間の丸い部分)の強さで大きな獲物や、強く抵抗する獲物にも威力を発揮します。

 複式釣針は、軸と針先が別々に作られます。単式に比べ強度は落ちますが、素材に対しての経済性は上がります。単式釣針同様、季節や釣りをする場所、狙う獲物の大きさによって、さまざまな組み合わせが可能です。現代の釣針と比べると金属器と鹿角、素材の違いはありますが、釣針の基本的な形状はすでにこの時代に確立されていたといえるでしょう。

 弁財町の漁師さんが教えてくれた三つ目の方法は、離頭銛を使う方法でした。『舟で(沖に)出てな、(マグロのとおり道を)見立てて、メガネ(箱メガネ)で(海中を)じっと見て、マグロが来たら(銛で)突くんだ。』「えーっ。本当ですか」。あまりに突飛で、聞き取りにあるまじき言葉が飛び出しました。マグロは時速70㌔で海中を泳ぎます。『出来るんだよ。名人だからな。こうやって、ふっ!て突くんだ。』出来るのでしょう。名人なのですから。自分に想像できないからといって否定するのは誤りです。漁師も縄文人もなめてはいけません。残された道具と骨が、その証拠なのです。戸井貝塚からはマグロの脊椎骨が沢山発見されています。

(日本考古学協会会員 佐藤智雄)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です