| 資料名 | 土 偶(頭部) |
| 見つかった遺跡 | 大船渡市三陸町綾里 宮野貝塚 |
| 大きさ | 高さ約4.5㌢ |
| 時期 | 縄文時代晩期(今から約2,500年前) |
大船渡市指定史跡
大船渡市教育委員会蔵
持っている人・いない人の物語
春になりました。連休が明けると発掘調査のシーズンです。皆さん、遺跡の発掘を体験なさったことはありますか。経験のある人は知っています。だめな時、ついていない時は、一日中掘っても石コロすら当たらない日もあります。ところがそんな中でもいるんですよね。いろんなお宝を出す方が。数千年、土の中にジッと埋まっている土器や土偶も大変ですが、それを見つけて掘り出す人も大変なのです。発掘は汗をかいた分だけこの世界にのめりこみます。ただの「アルバイト」や「暇つぶし」、「親に言われたから来て見た」というのがきっかけだったのに、お別れの宴ではなぜかみんな涙が浮かんでまいりました。
現代の発掘調査は「地層累重の法則」※に則って、決められた範囲を地層ごとに上から順に掘り進めてゆきます。それは数十平方メートル規模の宅地の調査から、果ては数万・数十万平方メートル規模の開発や高速道路、新幹線の調査まで様々な現場があります。こんな広い土地の中、どこかに土偶が埋まっていたとしても、誰が掘り当てるかなんて、想像もつきません。なのにやっぱり掘り当てる人います。「神さま」なのでしょうか。
今日ご紹介する土偶は、今から10年ほど前の2013年(平成25年)に東日本大震災で大船渡市に支援に入ったときに担当した大船渡市の市指定史跡宮野貝塚から出土した土偶です。作られたのは縄文時代晩期、形は遮光器土偶、作り方は中身の詰まった中実の土偶でした。
現場の担当は神戸市から派遣された佐伯二郎さんと函館から派遣された佐藤の二人。作業員さんに応募していただいたのは地元の方で、募集した数の6割位の人数での作業です。同時期に始った4箇所の現場とも状況は同じで、完成までの日程はぎりぎり。完了したら被災した消防署が作られる予定で、調査区のすべてを掘り切らなくてはいけません。心の中のお題目、「順番に順番に効率を考えて」「見当をつけながら遺物が出てくるような場所を時折混ぜて」「作業員さんが飽きないように」と現場を経営します。そんな中、気がつくと無口になっている作業員さんが現れます。お宝を丸ごと掘っている人はオーラでわかってしまうのですね。ご本人も最初は何を掘っているのか気が付きません。やがて、その正体が土偶だと気づきます。そのあたりを見計らってそっと声をかけます「貴重なものだから慎重にやろうね」と。そして時々に写真や図面の記録をとりながら、移植ベラや竹グシ、ブラシなどの道具や掘り方を指導していると「この子を無事掘り上げよう!」という不思議な連帯感のようなものが生まれます。大事なところは手を貸して、(人骨のように掘り方を知らないと壊してしまうものはともかく)よほどではない限り他の人に渡したり、取り上げたりはしません。最後まで掘って頂くことも調査員の力量なのです。
宮野貝塚で土偶を掘り当てた方は、「10時と3時のおやつが生きがい」と公言しておられた女性で、生まれて初めて発掘調査にいらした方でした。この土偶は頭部だけでしたが、この地域での遮光器土偶の出現は初めてで、大変貴重な資料となりました。頭の飾り、大きな遮光器をつけたような目、「フン」と食いしばったような口。立派な縄文狩人の顔です。
皆さんもそんな人になりたいですか?どうすればなれるか、まず遺跡へ行きましょうか。 そして「俺はラッキーボーイ」と自分を信じることから始めましょう。出会はそこから始ります。
(日本考古学協会会員 佐藤智雄)
自然界においては、地層は重力にしたがって下から上に堆積する。古い時代の地層は新しい時代の地層より下にあるという大原則。
函館の縄文を旅する物語

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