撮影:小川忠博
提供:市立函館博物館
資料名 | 骨角製装飾品、歯牙製装飾品 |
見つかった遺跡 | 函館市浜町 戸井貝塚 |
時期 | 縄文時代中期末葉から後期初頭(今から約4000年前) |
市立函館博物館蔵 函館市指定有形文化財
あこがれを身にまとう物語
遺跡から発見されたものの内、広義の「装飾品」と呼ばれるものには、当時の人が直接あるいは間接的に身に付けたであろうものの総称を指すことがあります。それは、縄文時代の衣類が余り複雑化していないことが前提になっていることによるものかもしれません。
髪をまとめるかんざしやヘアピン、耳飾り、ラブレット、首を飾るネックレスのほかブローチなどの胸飾りや手首・足首につけるブレスレッド・アンクレットはもちろん、衣装や装束を飾るビーズや小札なんかも装飾品と呼んで使うことがあります。彼らが装飾品をどのように利用していたかは、お墓に埋葬された様子によってある程度知ることができます。
縄文人は自分の身を飾るにふさわしい素材を自然界から求めました。自然界に存在するさまざまなモノは、人知の及ばぬ形をしています。巻貝の螺旋が渦を巻くその美しさは後に「黄金率」と呼ばれます。自然と共存していた縄文人は、身の回りに存在した自然から素材を探し出して身を飾りました。それは、父祖から伝えられてきた存在や、心引かれたものの象徴、他の土地から伝わった珍しいものや貴重なものによって作られています。また、素材へのあこがれの余りに、時にはその形や素材をフェイクによって作ってしまうこともありました。彼らが自然の中で身を飾る欲求は彼らの世界観の反映であり、それほど深刻で渇望されるものだったのでしょう。
今回取り上げる歯牙製の装飾品は骨角牙製品と呼ばれます。戸井貝塚の骨角牙製品の素材はクマ・イノシシ・キツネなどの陸獣とオットセイなどの海獣類の歯牙、鷲・鷹などの猛禽類の爪や砂嘴(くちばし)などが素材となりました。骨や角が、狩猟具や装飾品などの素材に選ばれた理由の一つは、木よりも硬く弾力があって、石よりもやわらかい特性からでしょう。また、これらの素材が装身具や呪術具に用いられたのは、動物が持つ大きさや強さ、美しさを身に着けて自分に取り込みたいと願った縄文人の感情や価値観をあげることができます。手に入りにくい素材や呪術性の高い装飾品は、それらを身につけることのできる人が存在したということなど、海峡北岸の縄文社会を伺うヒントにもなります。またそんな力を持ったヒトが存在する集団のステイタスにもなったでしょう。
写真には、メダリオンのように使ったシカの骨製環状錘飾品を中心に、2段目にはカメ・キツネ犬歯、ワシ・タカの爪、イノシシ牙の垂飾品。3段目にはホホジロサメの歯、4段目にはヒグマ、カメの指骨を使った装飾品が写っています。どれも手に入れるには複数人の手と相当な苦労がともないます。
アオザメやホホジロザメの歯は海の生態系の頂点に立つ生き物の象徴ですし、イノシシの牙は津軽海峡の南側では誰もが認める強さの象徴でしょう。海峡の北岸らしいのはヒグマの手指の骨(末節骨)を使った装飾品です。指の骨を横に孔をあけてつなぎ、最も長い中指の骨には、他のアクセサリーやジュエリーとつなぐための孔を縦にあけています。ヒグマやカメの手足など、衰えを知らない霊力のあると思われる特定の部位が加工され装飾品となっています。陸の王者ヒグマや海の王者アオザメ・ホホジロザメの歯を身に付けた人物は自然界から祝福された人物と映るでしょう。
狩には勇気が必要です。命をかけて勇気を奮い立たせる必要のあった男たちが身に付けるにはピッタリのアクセサリー。そう思いませんか。
今日掲載した写真は、フォトグラファーの小川忠博さんが撮影したものです。小川さんは縄文時代の土偶や遺物に心引かれ、独自の世界観で撮影、表現しています。一日中遺跡を歩いてイメージを膨らませ、現場が終わった夕方から撮影。遺跡事務所のプレハブの中で、遅い時間まで遺物と向い合っておられたと聞きました。
この写真の資料も並べていただと聞いています。身に着ける素材を選ぶ縄文人のように、実に楽しそうに並べておられる姿が浮かびます。
(日本考古学協会会員 佐藤智雄)
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