
資料名 | 板状土偶 |
見つかった遺跡 | 函館市桔梗町 サイベ沢遺跡 |
大きさ | 7.1㌢×4.5㌢×0.8㌢ |
時期 | 縄文時代中期(今から5000年前) |
市立函館博物館蔵 北海道指定有形文化財
土偶と脚の物語
サイベ沢遺跡からは、昭和24年の発掘調査によって、破片を含む8点の土偶が出土しています。本日は4点目の土偶の紹介です。今度の土偶も板状で、頭がついています。もちろん土で作られ、肩の部分が幅広く、胴は足先に向かってすぼまる逆三角形、岩偶の形にとても良く似ています。岩偶は土偶と同じような意味があると解釈する研究者もいるのですが、自在に形を作れる土を使って、意図的に岩偶に形を似せて作ったのであれば、岩偶のカタチを土(偶)で作る必要があったからだと考えるのが妥当でしょう。その理由はこのカタチに託される「願い」だったのではないかと思っています。考古学では踏み込みにくい心の問題、ついつい追ってしまいます。素材に意味があり、カタチに意味があり、使い方に区別がある。それがなかなか読み取れません。
観察してみましょう。土偶は、一見するとおクルミに包まった赤ん坊のようにも見えます。顔の中心には、土偶の顔によく見られるカモメのような一本眉と、そこからのびる鼻もついています。眼や口の表現はなく、土偶の表現としては不十分ですが、岩偶のように表現がなくても良かったのかもしれません。胴には短い手か腕が肩の両端に付けられています。向かって左側は欠けていますが、右側をみると、これで完結していることがわかりました。岩偶の表現としてならば納得ができそうです。そうかと思うと、胸には飛び出た乳房、下腹部も膨らんで、土偶ならではの女性を思わせる特徴も表現されています。ヒトガタでしょうか精霊でしょうか、別な何かのカタチなのでしょうか。
この土偶の一番の特徴は身体の下端の部分でしょう。下端がわずかですが二つに割れ、脚のように表現されています。太さは腕と同じくらいで「板状・十字型」の土偶を作り続けた円筒土器文化圏※の中では見ないわけではありませんがわりとめずらしい存在といえます。足や脚の存在は、よりヒトガタに近い表現です。円筒土器文化圏に隣接する大木式土器文化圏※では、十字型でも自立する土偶や、板状でも足があらわされている土偶、中実で脚がつき、自立する土偶など、この土偶が現れた頃にはさまざまな形の土偶がすでに生まれています。それらの中には、やがて海峡の北岸に持ち込まれたり、伝えられたりしたのであろうと思われるものも出てきます。
土偶や岩偶が、力を持ったもののシンボルとして時代とともに様々な姿にカタチを変えながら存在してゆく背景には、縄文人が自分たちの知識や体験のほかに、他地域との交易や婚姻などといった関係の中から得られた「祈り」の対象を否定せず受け入れて、世界を広げて行った結果なのではないかと考えています。時にはその数の多さが、集団の潜在的な能力や経済力の高さをも示していたのかもしれません。ゆえに後に自然神を含めたその有様が「八百万」と呼ばれることになったのでしょう。
土偶は時代とともに進化してゆくように見えます。その反面、実は板状の土偶も岩偶も、形を変えながらも縄文の終わりまで存在し続けます。そこには、とてつもなく長い時間をかけて大切にされてきた縄文文化の中にある、彼らの信仰の特質というものがおぼろげながら見えるように思えます。新しいものが入ってくる時代の流れの中に、以前からあった古い考え方がカタチとして残されて共存してゆく文化は、自然と共存してきたしなやかさを持った縄文文化の特質の一つといえるでしょう。時には古いスタイルで、時には新しいカタチで、必要なときに必要なものを取り出せる。サイベ沢遺跡の岩偶のような土偶もそんな価値観の中から生まれた遺物なのかも知れません。
(日本考古学協会会員 佐藤智雄)
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