
資料名 | 獣面付環状土製品 |
見つかった遺跡 | 函館市桔梗・西桔梗町 サイベ沢遺跡 |
大きさ | 4.5φ×高さ1.0(頭部含む)-厚さ0.4㌢ |
時期 | 縄文時代中期 今から約5000年前 |
北海道指定史跡
市立函館博物館蔵
ヘビにやさしく
今年は「巳の歳」です。「巳」はヘビの古い呼び方で古事記・日本書紀など「記紀」とよばれる古い文献の中に見られる言葉には、「倍美(へみ)」、「久知奈波(くちなは-わ-)」、「乎呂知(おろち)」などが蛇をあらわす言葉として収録されています。中でも「へみ」という呼び方が一番多く、「へみ」の「み」に「巳」の字があてられて、今日に至っているようです。5世紀代のことを記したといわれる記紀よりも、はるかに古い縄文人達はヘビのことをなんと呼んでいたのでしょうか。
現代ではヘビは割と好みが分かれる生き物です。お好きな方も、苦手な方も、中には長いというだけで拒絶される方もいらっしゃいます。これは、ヒトがヘビとのかかわりを持たなくなってからおきている現象なのでしょう。ヘビと人との関係は時代によって変わってきました。それは、ヘビがヒトとは別な能力を持つ生き物だからなのでしょう。その姿形や生き方も。自然の中で生きるヘビの迫力は圧倒的だからです。
日本人は、弥生時代以降、生業の米つくりと深いかかわりを持って歴史を刻んできました。その歴史の中で、ヘビは始め水神として祭られます。水は稲作には欠かせないことから、ヘビはやがて農耕神となり、やがて山の神にも祭られるようになりました。古代には、ヘビは神として信仰の対象とされていたことも記録に残されています。ヒトは、ヘビに対する畏怖心から、社を建てたり、供物を供えたり、大きな願いをする時には生け贄を捧げたり、その神の僕として若い女性を差し出したりする伝説や説話が生まれました。神の中にも、ヒトとは異なる能力や美しさを持つ者として大物主神や宇賀神などの蛇身の神や肥長姫が日本創世の物語の中に登場します。仏教が諸行無常を唱え、既成の概念を否定し始めると、やがて蛇は退治される対象となってきます。動物が自然神として違和感なく畏怖されるのは狩猟社会でした。狡猾でヒトをだましたり、見た目で油断のならない存在という一面だけが一人歩きするのは、人間との関係が薄くなり、既成概念を否定し、かつての人々が大切にしていたものを否定する価値観から生まれたものなのだと思われます。
環状土製品とよばれる装飾品があります。簡単に言えば、土で作って焼いた「輪っか」です。丸くて扁平、メダルのように平らで中が埋まって外縁の円いものは「円盤」とよばれ、ドーナツやチクワのように、真ん中が円くて広い「窓」になっているものが「環」とよばれます。
今日の資料には、環の一端に顔のある頭部が付けられています。外側に突き出しているのは鼻先と口で鼻腔はありません。顔のつくりに加え形が円環で、内面と外面の脇には三角のウロコ状の刺突文様が連続して続いているなどの状態からヘビ形と解釈しました。文様の中心は獣面で、円環の背面には縄紐の圧痕が形に添って丸く押し付けられています。腹面には施文や加工は見られず、まるで本物の腹のよう。紐とおしの穴は獣面の頸に開けられています。「環」には紐による擦痕はありません。
ヘビは素材としてはどうだったのでしょう。戸井貝塚の貝層にみられた蛇はごくわずかでした。全く食べなかったと言い切るつもりはありませんが、発見された蛇の骨は脊椎骨が繋がっていて、解体や調理された跡がありません。つまり、ほとんどが自然死とみられ、縄文人は重要な食料としては見ていなかったことがわかります。
環には不思議ないわれが残っています。先住民の中には「環で遮蔽された中から外を覗くと真実が見える」という考え方があります。鏡に「正体」が映る考え方とよく似ています。自然神のへびと環を組み合わせたこの土製品には、「迷ったときには覗いてごらん。よこしまな邪悪なものから守ってくれる。迷う心を断ち切って、真実の道を教えてくれる」そんな気持ちが込められているのかも知れません。
みなさん、もし水辺や道端、自然の中でヘビをみつけたら優しくそっとしてあげてくださいね。ヘビは縄文人の子孫である私たちをきっと守ってくれる存在なのですから。
(日本考古学協会員 佐藤智雄)
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