日本人とイノシシの物語

イノシシ形土製品 撮影:小川忠博
イノシシ形土製品図

資料名 動物形土製品 どうぶつがたどせいひん
見つかった遺跡函館市高岱町 日の浜遺跡(旧恵山地区)
大きさ高さ4.2㌢×長さ5.6㌢×幅2.2㌢
時代縄文時代 晩期中葉 今から約2500年前

市立函館博物館蔵 北海道指定有形文化財

日本人とイノシシの物語

 踏ん張った前足と後ろ足、ピンと突き出た鼻ヅラには小さな牙とハナのアナ。断面三角のからだには幼獣特有の横縞模様が描かれています。ブラキストンラインを北に越え、北海道では生息しないはずのイノシシ。でもこの土製品は函館の旧恵山町にある日の浜遺跡の晩期の竪穴から発見されました。「誰かが持ち込んだだけなんじゃないの」そんなニベもないことをいってはいけません。ここから見えてくる縄文文化もあるのではないでしょうか。

 時代は前後しますが、日本人はイノシシと深い関わりを持って暮らしてきました。干支の「亥」は日本ではイノシシ、中国では家畜となった豚があてられています。イノシシは特に日本人となじみが深く、宮崎駿監督のアニメ「もののけ姫」に登場するオッコトヌシは、霊力を持った巨大な白イノシシで、身勝手に(自分たちの都合で)森を切り拓いて鉄を採掘する人間に祟りを与える自然神の象徴として描かれました。もののけ姫の物語の中では,白イノシシはシシガミによって倒されてしまいますが、日本創世の記録「古事記」の中では主人公側の倭建命(やまとたけるのみこと)が伊吹山で出会った牛ほどもある大きな白イノシシに化身した山の神によって命を落としてしまいます。時には神の化身として、時には時の番人として、また食材やマスコットに姿を変えて、日本人は縄文時代からイノシシとともに時を過ごして来ました。

 土を素材にヒトの形を写実的、あるいはデフォルメして表現したものは土偶と呼ばれ、動物を形作ったものは「動物形土製品」と呼ばれています。土偶も土製品も、ともに手に取ることができ、容易に持ち運ぶことが可能です。動物形は縄文時代中期以降に作られたものがほとんどで、東北地方と津軽海峡の北岸域では、弥生時代あるいは続縄文時代まで作られ、以降姿を消してしまいますが、北海道全体ではオホーツク文化を含め10世紀前後まで作られ続け、以降はアイヌ民族の文化の中で継承され続けます。

 全国で確認できる動物形土製品は約200点あまりで、その数は土偶のわずか0.5%にも満たない数しか作られず、種類も多くありません。作られた動物の割合はイノシシが約半数と最も多く、次いで貝そしてクマ・サル・トリ・イヌ・シカ・カメという順で、北海道ではゆかりが深かったためか、クマが最も多く作られています。

 動物形土製品が作られる理由にまだ定説はありませんが、イノシシ形は他の動物形土製品に比べ、丁寧に作られているという特徴があります。細い所まで観察され、中には乳首が表現されたものもあって、人の近くにいて、思い入れ強く作られる傾向にあったと考えられます。 

 北海道におけるもう一つのイノシシへの関心は牙や骨などの素材、牙製品や装飾品のあり方でしょう。函館市の戸井貝塚や松前町寺町貝塚、八雲町コタン温泉遺跡や洞爺湖町の入江貝塚ほか海峡の北岸や噴火湾沿岸の遺跡からはイノシシの牙製品や装飾品が発見されています。また、骨の一部や牙なども礼文島船泊遺跡を初めとする50を超える道内の遺跡から発見され、素材としても入ってきていたことが先学研究者の調査により知られています。発見された骨や牙は火を受けているものがほとんどで、イノシシのお祀りを目的に利用されていたことが考えられます。生息しないはずのイノシシの何をお祀りするのでしょう。これにはかつてイノシシのお祀りをしていた人の移動を考えるべきではないでしょうか。この土製品が津軽海峡の北岸で発見された背景にも同じ要因が関わっていると思われます。

 イノシシのことを知っている年寄りが子どもたちへの教材として作ったとか、交易品のサンプルやギフトとして、作られたモノが持ち込まれたとか、嫁に行く娘に持たせた安産のお守り(イノシシは多産の象徴です。)だったのかも知れません。

 イノシシの祀りが必要だった人達、イノシシの祀りをすることで自分や祖先からの文化を守っていた人達。その系譜に繋がっていた人達。いずれにしても、自分たちの生活や世界観を表現するためにはイノシシや他の動物たちが彼らにとって欠くことのできない存在だったという認識であったことには違いがないでしょう。

(日本考古学協会会員 佐藤智雄)

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