だれも仲間はずれにならない

女名沢遺跡 ナマコ形土製品

資料名ナマコ形土製品
見つかった遺跡函館市庵原町 女名沢遺跡
大きさ3.2㌢×1.4㌢×1.2㌢
時期縄文時代 晩期  今から約2500年前

市立函館博物館蔵

だれも仲間はずれにならない

 函館の縄文を旅する物語 本日は、女名沢(めなさわ)遺跡で見つかった動物形土(どうぶつがたど)製品(せいひん)をご紹介致します。

 動物形の土製品は縄文時代中期以降に作られたものがほとんどです。動植物をモチーフとしたものは東北地方と北海道では、土偶と同様に弥生(続縄文(ぞくじょうもん))時代の中頃まで作られるのですが、それ以降は姿を消してしまいます。次にでてくるのは古墳(こふん)時代(じだい)の中頃で、古墳に立てられる埴輪(はにわ)には馬や牛などの家畜のほか、鳥・シカ・猿・ムササビ等が知られ、描かれた鮭などの魚まで登場します。道南では奥尻町の青苗貝塚で発見された土師器に墨で鹿が描かれていました。動物形は社会が安定すると登場し、変革期には姿を消すという傾向があると言われています。

 今日ご紹介するナマコは棘皮(きょくひ)動物(どうぶつ)です。「ナマコ」皆さんは切られていないナマコの姿を思い浮かべられますか?調理できますか?そして召し上がってますか?津軽海峡沿岸にはナマコが生息(せいそく)しています。海水浴でうっかり踏んでしまうと、グニャリという感触と得体の知れない海中での恐怖に思わず「ギャー」という声が出てしまいます。ナマコは恐怖でした。

 旧石器から縄文へと時間がうつろう中で、ヒトは内陸から海岸へ進出して行きます。彼らはバッファローなどの絶滅した大型動物に変わり、海辺に産卵に来る魚を網で捕えて、新たな食料源とします。貝塚に残された様々な食料の残りを見ていると、彼らは命をかけて、ありとあらゆる食べ物にチャレンジしていることがわかります。彼らにとって最も重要なのは「家族の空腹を満たすこと」でしょう。次に来るのは「食べのばしができる」つまり保存食となるもの。その次には「分け与える」(交易品となる)ほどの収穫があること。ナマコはすべてを満たす条件を持った存在でした。

 胴体(どうたい)はまるまってジェリービーンズのようです。背中には均等に並んだ9つの円錐形(えんすいけい)のイボ。たてがみのように背中の稜線(りょうせん)に3つ。その右側と左側に3つずつ等しく並んでつけられています。そして全身は真赤(まっか)。縄文人の観察眼には恐れ入ります。表面に細かな亀裂が入っているのは火を受けたからでしょう。身体はゆるく丸まっています。

 博物館の引出(ひきだ)しをあけて、出会ったときの驚きは忘れません。これは・・ナマコだ。今から24年前に「北海道の動植物を意匠(いしょう)する製品」と云う題で北海道の土製品をまとめたことがありました。函館に来て、本州の縄文遺跡との違いの一つが動植物を意匠する土製品の量と種類の多さでした。強さと美しさ、食料と富を与えてくれるものを、北海道の縄文人は作らずにはいられなかったのでしょうね。海の生き物では、他にスカシカシパンを真似た円盤状土製品があります。地の形そのままにセンスもなかなか良いです。

 ナマコ形の土製品には長軸(ちょうじく)の直交方向二箇所に貫通した(あな)があります。おそらく(ひも)をとおしてブレスレッドのように身に付けていたものと考えられます。動物形はこれまであまり注目されていなかった資料で、報告されずに個々の学芸員がこっそり(たの)しんでいたものもあるでしょう。動物形かどうかは写実性と、受け取るものの感性にあるのですが、これを見つけるためには、出土した遺物をかなり丁寧に見てゆく必要があります。海峡北岸の縄文人の感性は、豊かな自然と共にあるという世界観の中から育まれています。彼らの中には自然がある、動物がいる。そんな目で残されたものを見つめてあげてください。これまでと違った縄文がきっと見えてきます。

(日本考古学協会会員 佐藤智雄)

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