よみがえる伝説の狩人

土器に付けられたイレズミのあるシャーマンの顔

資料名狩猟文土器
見つかった遺跡函館市釜谷町 釜谷2遺跡
大きさ5.5㌢
時期縄文時代後期(今から約3,500年前)

市立函館博物館蔵

よみがえる伝説の狩人

 縄文研究の楽しみの中に土器の観察と分類があります。土器は地域によって、時代によって形と文様に違いがあります。これは前期の土器、これは晩期の土器とその変化を覚えてゆくのは縄文文化を理解できたような気持ちがして、けっこう楽しいものです。同じ時代の土器の中でも、文様が少しつぶれていたり、他所の地域とは違う要素や装飾方法が使われていたりするのを見つけると、そのムラで土器を作っている人の顔や指先までもが見えるような気がします。模様の違いは、土器が作られた微妙な時間の前後や集団の好みなど、いろんな原因が考えられます。地域やムラによっては土器全体が縦長だったり、粘土や焼き方によるクセもあって、「土器の顔」は作り手や集団の個性を見せてくれます。

 土器の楽しさをご存じない方からすれば、これだけでも十分変人の部類に入れられてしまうのですが、縄文土器が好きな方たちの中には、「土器に描かれた文様には物語が隠されている」と解釈される方々もいらっしゃいます。もちろんごく限られた数の特別な文様のついた土器です。モノが存在する背景にある、生み出された理由や考え方に触れたとき、縄文の神秘や真実みたいなものが見えたように感じることがあります。それは、独りよがりになることが多いのも事実なのですが。それを証明するために、必死になって証拠探しをいまだにすることがあります。

 例をあげるなら、出産そのものを表現した土器や、口縁に「蛇の意匠」がつけられた特異な土器があげられます。さまざまな議論がなされてきました。その土器が作られた背景には「それにともなう伝説や説話があるに違いない」として古い話では古事記にのっている「ヤマタノオロチ」伝説や風土記にのる「巨人」伝説あたりが該当しましょうか。狩猟民の造った作品は、私達の感性にも触れたり、共感できるお話もあったりするのですが、強く肯定できる資料も、否定できる資料もないのが現状です。文字を持たなかった人たちの表現はそれほど意味深く、印象的なものでもあるということでしょう。

 今日ご紹介する土器には「顔」が立体的に付いています。「顔」のほかにも「弓」と「木」が浮き彫りで表現されています。この土器は、全体につけられた文様から「狩猟(しゅりょう)(もん)土器(どき)」とよばれます。数の少ない特別な存在といってよいでしょう。狩猟文土器は、北東北を中心に、北海道南部から福島県までの太平洋側で発見され、ほぼ同じ時期に作られているという特徴があります。

 ということは、「どこかで作られたものが、ある集団を足掛かりに関係のある土地に広がった」、あるいは「作り方を知っている人が物語や様々な器物とともに各地に伝えた」、でなければ「特定の儀式をするのに必要な道具で儀式とともに広がった」と、こんな考え方ができそうです。

 狩猟文土器で特に有名なのは青森県八戸市の(にら)(くぼ)遺跡(いせき)から出土したものが、青森県の重宝(県指定文化財)となっています。北海道のご出身で狩猟文土器の研究者だった故福田友之(ふくだともゆき)さんは、「この土器の文様は、森の中での狩りの場面をあらわしている」と解釈しています。4つの区画に分けられた土器の胴部には「木」が描かれ、その中には「4つ足の動物」、さらに隣のコマにはその動物を狙う大きな「弓矢」や、「落とし穴」のような文様が描かれています。その動物に対して向けられた弓矢の表現にも、「装飾があり、儀式に使われる特別な飾り弓とも推測できる」と述べています。4つ足の動物形は抽象的で、何の動物かは識別できないのですが、北海道なら一番登場するのはクマでしょう。福田さんは「縄文時代に利用される動物からツキノワグマかイノシシと考えられる」と結んでいます。

 この動物は、サイベ沢遺跡の動物形土製品にとても良く似た表現がされています。本州ではこの土器が出てくる縄文時代中期の末葉くらいから後期初頭にかけての時期は、ムラが小さくなって、分散する傾向にあるといわれています。生き残りを賭けて最小単位で、権利のある猟場に散って行ったのでしょう。その背景にはシカやクマ、イノシシなどの大型獣が減った食糧事情も考えられます。(本州では小型動物の捕獲に移っているようなので、ほぼ獲れなかったのかも知れません。)そんな状況の中で登場してくるこの土器には、大型獣の捕獲や狩りでの成功を祈る儀式で使用された、時代背景の中からそんな理由が見え隠れします。

 今日ご紹介した釜谷2遺跡から出土した土器についている顔は、「弓の射手」とする人や「狩りの成功を祈るシャーマン」という見方をする研究者もいます。顔をよく見ると目の周りを囲む飾りがあることに気が付きましたか。刺青を入れた狩人をあらわしているのかもしれませんね。いずれにしても北海道で発見された唯一の狩猟文土器。この土器に込められた思いとはなんだったのでしょうか。獲物の再来を望んだのか、狩りの安全を願ったのか、同族として共通の儀式を受け入れたのか、あるいは凄腕の狩人の集団が渡ってきたのか、興味は尽きません。

(日本考古学協会会員 佐藤智雄)

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