
名称 | 土偶 |
見つかった遺跡 | 函館市陣川町 陣川町遺跡 |
大きさ | 縦5.9×横4.0㌢×0.8㌢ |
時期 | 縄文時代後期(今から3000年前) |
市立函館博物館蔵
縄文の小さいヒトの物語 2
人は死んだらどうなるでしょう。動かなくなって・・呼んでも答えず、身体はやがて崩れていって、土中にでも入れておかなければならなくなってしまいます。土に埋められるとやがて腐敗したガスが抜けたり、肉が土に帰るようになると遺体にかぶせた土もくぼみ、塵となって跡形もなくなってしまう。中にはそうじゃない方もいらっしゃいますが、おしなべて生前と形は変わってしまいます。この世からいなくなってしまったら人はどうなるか。筆者はその答えの一つが縄文時代の土偶や祭具の中に見られると思っています。縄文人の思考の中には「小さいヒト」がいます。いや「小さいヒト」の存在を知っている。あるいは「小さいヒト」とともに生きている、といったほうが正しいかもしれません。
今日ご紹介する土偶が発見された陣川町遺跡は函館市の北側にある標高60㍍から80㍍の丘陵の上につくられた遺跡です。今から約5000年前の縄文時代中期から2500年前までの後・晩期の人たちが暮らしたムラの跡で、ここに大規模な団地の建設が計画され、その造成工事に先立つ昭和62年から63年にかけて市の教育委員会によって調査が行われました。中でも中期の集落は旧函館市街ではサイベ沢遺跡に次ぐ大きなムラで、長さ12㍍を越える大型竪穴建物などが発見されました。たくさんのヒトが住んでいたこのムラを反映するように、それぞれの時代に特徴的な土偶が発見され、彼らが土偶のある生活を送っていたことがわかります。
小さなヒトのお話は世界中に残っています。白雪姫に登場する7人の小人たち、親指姫、様々な物語に登場する精霊たち。ヒトとは違う存在として小さなヒトは登場します。その多くはふつうではありえないモノやコトの説明のために。
日本のお伽話では竹の中から誕生した「かぐや姫」。かぐや姫は育ての親に幸運をもたらしてくれました。指に足りない一寸法師、幕末から明治にかけての日本人は北海道には「蕗の下に幸せに暮らす小さな住民コロボックル」がいると思っていました。北海道の名付け親の松浦武四郎がその姿を絵に描き残しています。
そんな物語の中には「小さなヒトは異界のヒト、めったに出会えない未知のヒト」それと同時に「救済と幸せをもたらしてくれるかもしれない存在」という考え方がみえます。自分たちと同じ世界を共有しているはずの「精霊」や、自分の手助けをしてくれるであろう「祖先の霊」だったり。それは、絶望的な状況の中で救ってくれた、まだ自分たちが出会ったことのない「見知らぬ存在」を受け入れるための解釈だったと考えられます。小さなヒトの存在は平安時代の前は記録には残っていませんが、土偶の中にこめられた縄文人から現代の私たちに続く世界観だということができるのではないでしょうか。
土偶は欠けたところのない完形です。頭はありますが顔の表現がありません。頭頂部は扁平で顔の真ん中に何かを埋め込んだような丸い穴があいています。手足は短く、四肢を踏ん張っているのは後晩期の土偶の特徴です。体形に沿って刺突文様が見えます。頸から胸にかけてはVネックのように または前で合わせた上着のような文様です。そう思うと頭の形はパーカーを目深に被っているようにもみえます。顔にあいた穴にはメノウやヒスイなどの輝石を入れたのでしょうか。同じ時期のブレスレットや土偶にも輝石を埋め込んだり外すたりする例が見受けられます。土偶にはどこかの誰かを思わせるようなそっくりさんがいるものですが、顔がないということは、彼らにとって見たことのない存在をあらわす方法の一つで、精霊という存在には顔が必要なかったのかもしれません。
(日本考古学協会会員 佐藤智雄)
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