縄文のちいさなヒトの物語 3

土偶正面
土偶背面

名称土偶
見つかった遺跡まだ指定されていません
大きさ2.5㌢×1.6㌢
時期縄文時代晩期中葉から後葉 今から約2500年前

市立函館博物館

縄文のちいさなヒトの物語 3

 今日の小さな土偶にはお顔があります。土偶には発見された日付と寄贈された方のお名前、そして「鍛神小学校前」とだけ発見場所が記されたカードが残されています。「鍛神小」は1880年、明治13年に創立された函館でも歴史のある古い学校です。特別史跡五稜郭の北側に当たるこのあたりには、元々鍛治村という集落があったのに加え、五稜郭に通う役人の役宅が建設されて、幕末には人通りのある割と賑やかな場所であったとみられます。加えて、その北には上山(後に神山)というむらもあり、五稜郭の鬼門に当たるとして、東照宮が築造されるなど幕末には開発の進んだ場所でもありました。
 土偶は校舎を建築あるいは改築しているときに発見されたか。花壇を作ったり地面を掘り起こしたりして発見されたのか。小学校の生徒さんが拾ったものかもしれません。それがどうやって博物館に入ってきたのか。この土偶は博物館ができる以前の寄贈で残念ながら詳しい記録は残されておりません。ただ、土偶を寄贈された方は昭和24年に行われたサイベ沢遺跡の調査の際に、亀田中学の教諭として生徒と供に参加されるなど、函館の遺跡に積極的に関わられた方でした。学校周辺に未登録の遺跡があるのか、周辺遺跡の出土品なのか、聞き取りができればと残念に思っています。

 土偶は小型の中実(ちゅうじつ)土偶で、片腕と両脚がありません。大きさは2.5㌢、ちょうど一寸法師と同じくらいでしょうか。一番の特徴は作られた土です。土器に使われる土とは異なり 少し黒く、とても細かくキメがそろっています。表面は磨かれてつるつるで、とても丁寧に作られていたことがわかります。
 頭髪はデコボコしていますが顔の両脇で髪を束ね、ミズラに結い上げています。ミズラは子供の髪型で、つまり子供か、子供のような存在ということでしょう。眉は一本眉でそれに鼻が付きます。口は小さく、目は顔いっぱいに大きく描かれています。胸には不釣り合いなほどの大きな乳房がつけられています。地母神・ドングリの森を駆け抜ける精霊・子供と遊んでくれる妖怪(あやかし)。いずれにしても悪意はみじんも感じられません。縄文の精霊たちはこんな顔をしていたのでしょうか。土偶に聞いてみたい、あなたは何組ですか?。

 (日本考古学協会会員 佐藤智雄)

注釈
※みずらは 子供の髪型の名称です。頭頂部から左右に分け、顔のわきで輪を作って束ねる。
「角髪」-つののかみ-とも書きます。

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