ヒトと精霊 カオナシ君の物語

土偶正面

資料名土偶
見つかった遺跡函館市  神山 かみやま 権現 ごんげん 台場 だいば 遺跡
大きさ長さ7.9㌢×厚さ0.7㌢
時期縄文時代 中期 今から約5000年前

市立函館博物館蔵

ヒトと精霊 カオナシ君の物語

 権現台場遺跡は、神山町3丁目亀田川左岸の神山稲荷神社周辺に広がっています。遺跡は、亀田川か400㍍ほど東に離れた集落跡で大量の土器や石器が出土する縄文時代中期の豊かなムラでした。 

 遺跡の名前の「権現」は、この場所が五稜郭の鬼門にあたり、徳川幕府の手により鬼門封じの東照宮が造営されたから。そして、新政府軍が函館に攻め込もうとした際には、決して奪われてはならない場所として土塁が築かれて大砲が設置され、台場として利用されたことに由来します。明治2年5月11日の箱館総攻撃では戦場となり福山藩兵によって社殿は焼失し、扁額が戦利品として持ち去られました。東照宮は遷宮し、現在は神山稲荷神社が鎮座しています。

 この土偶は昭和55年の発掘調査で発見されました。縄文中期の板状土偶で、全体はクラッカーのように薄く、左右の腕に当たる部分と脚が欠けていますが十字形をしていたとみられます。唯一残っているのは頭の部分ですが、顔の表現はありません。身体の正面には首の左側から首の右側へ、そして腕の後ろを回して腕の下から反対の肩上へとまわし、胸前で交差させるというまるでタスキの背腹を逆にかけたような文様が描かれています。たすきの下には乳房が二つ。その間にはヘソとも装飾品とも見える丸い形が描かれ、その下から足先に向かって一本、正中線が引かれています。

 カオのないヒトガタ。前後(まえうし)ろを逆にかけたタスキ。バランスの悪い位置にあるタラチネ。

 不思議な、本当に不思議な感じのする土偶です。まるで踊り乱れたアメノウズメのようではありませんか。中でも顔の描かれていない頭部はまことに奇妙としか言い様がありません。発掘の担当者がこの破片を土偶とした理由は乳房の存在にすがったのでしょう。

 「人形は顔が命」というコマーシャルがありました。なるほどこの世のものならぬ程美しく作られた雛人形の顔。ヒトは何かに対峙すると無意識に顔を捜してしまう生き物です。「カオ」は大切です。相手がわんこやニャンコでも、天井に浮き出た木目でも、その中に目を見つけ鼻を探し、顔であることが確かめられるとなぜか安心してしまいます。相手が同類に見えたり、相手の正体がわかったような気がしたり。自分以外の他を認識する時、自分にとって安全なのか、危害を及ぼす対象なのかを即座に判断する材料として顔はとても大切な役割を持っています。

 縄文時代の土偶には顔のあるものとないものがあります。石で作られた岩偶も同様です。土偶も岩偶も最初は顔がありませんでした。早い時期だけではありません。晩期になっても頭部そのものがない土偶が函館には存在します。

 縄文人は、そう、作り分けをしているのです。彼らが作り分けをしていると云うことから推測すると、縄文人にとって顔のある土偶はどうも別の意味があるように思われます。現代の私たちと同様「顔」がヒトの象徴であるのであれば、カオのないものは縄文人にとって「ヒトではないものの象徴」ということができるのではないのでしょうか。

かお、カオとはいったい何でしょうか。辞典を引くと『顔とは頭部の前または正面。目・口・鼻などのある部分』とあります。それは最低限のヒトの形としての条件とも言えるでしょう。

 古くから伝承に登場するのっぺらぼうや二口(ふたくち)オンナなど、ヒトのツクリを逸脱(いつだつ)した(まが)モノは(あやかし)とされます。それとは逆に、ヒトが神のヨリシロや神の代弁者となる際には、たとえばお祭りに参加する子供たちが鼻筋を白く塗る「鼻おしろい」に見られるようなシルシをカオにつけることが求められます。やはり「カオ」がkey Wordなのです。

 顔があるものはヒト、顔のわからないモノは神や精霊。幽霊には足がなく、精霊には顔が必要ありません。ヒトとは違う存在は時に小さく、そしてカオがない。見えないものの働きを「気」や「魂」として形を与え、その力を持った存在を具現化したときに、カオのない姿として縄文人は表現したと考えられるのです。

 「タスキ」は何かって?ボタンがなかった当時、服の前を合わせる(えり)の表現でしょうか。交差しているので、和服でいう垂領(たれえり)でしょう。彼らは衣装をつけているのです。

 どうですか、縄文人の創造した精霊の姿、いつかお目にかけたいです。

(日本考古学協会会員 佐藤智雄)

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