縄文の髪形事情

土偶頭部 正面 
土偶頭部 上面より

資料名土偶 頭部 とうぶ
見つかった遺跡函館市  庵原町 いおばらちょう 女名沢遺跡
大きさ8.4㌢×8.6㌢×3.9㌢
時期縄文時代 晩期 今から約2500年前

市立函館博物館蔵

縄文の 髪形事情 かみがたじじょう

 土偶の頭を見比べてみると意外に個性的でいろいろな形をしていることがわかります。土偶が縄文人の姿(すがた)(かたち)をうつしているなら、頭や髪にも縄文人がいるはずです。縄文人は髪が伸び放題 洗わないからボッサボサの頭で・・・なんてとんでもない。彼らはそれぞれの役割を果たすために自由に動き回れる合理的な髪形をしていたはず。今日は髪の毛から縄文人を探ります。

 髪形が想像できる土偶は各地に見られますが、早いものでは本州の中部地方の中期後葉ぐらいから現れ始めます。津軽海峡の北岸域では後期中葉の北斗市茂辺地(もへじ)遺跡の土偶や国宝の中空土偶に当時の髪形を見ることができます。函館市の石倉貝塚から発見された土偶は、頭にフードを被ってました。

 他にも帽子などの被り物(かぶりもの)をしている土偶がいたり、おカッパや後ろで束ねているもの、三つ(みつ)編み(あみ)にして結い上げたり、みずらに結ったり、ドレッドヘアーを思わせる髪形もみられます。これらに共通しているのは「(ゆ)い上げて(ひも)でまとめるヘアスタイル」でしょう。

 そして(こっ)角器(かっき)のヘアピンやかんざし・骨製(ほねせい)の櫛がサイベ沢遺跡や後期初頭の戸井貝塚から発見されています。女名沢遺跡の晩期の土偶には(くせ)(っ)(け)やストレートな髪が表現されています。不思議なことに髪の毛に不自由な縄文土偶はほとんど見かけません。その原因は弥生人のDNAなのでしょうか、それとも現代病なのでしょうか。では、はさみやカミソリのない時代どうやって髪の毛の処理をしていたのでしょう。実際に試したことがあるのは、剥片石器を作る際に打ち欠かれて出てくる鋭いフレークです。かなり痛いのですが、髪を切ることは可能でした。ちなみに、現代でも宗教的な理由で体毛や髪を切らない人々もいらっしゃいます。長い髪の手入れは、親子・夫婦など親しい人の間ではもちろん、触れ合う機会を持った人にとっても良いコミュニケーションをもたらしたのではないでしょうか。

 さて、観察して見ましょう。この土偶は頭部だけが残されました。頭部だけでも9㌢近い大きさがあります。土偶は4から5頭身、だとすれば、全身は36㌢から45㌢となる大型の土偶です。正面から見るとかなり扁平な顔で、あたかも「仮面」をつけているようにも見えます。形は楕円形でほっぺが左右にふくらんだ「しもぶくれ」です。弓のようにしなやかで太い一本眉とチョッと上を向いた小さい鼻は子供のようです。コーヒー豆状の目と眉には流行の縄文が付けられています。口は小さく鼻の下につけられ、少しだけ顎がしゃくれます。磨消(すりけ)し状の縄文とスリット状の目には(しゃ)光器(こうき)土偶(どぐう)の影響が見られ 晩期の土偶の特徴が良く出ています。この土偶はよほど丁寧に作られていたのでしょう、仕上げに化粧土がかけられてから焼き上げられているために、まるでファンデイションを塗ったような肌合いになっています。ゲジ眉と笑ってはいけません。最近の芸能人なら井上(さく)(ら)さん。男子なら両津勘吉か北村一輝さんですね。濃い顔立ちはモテるのです。

 この土偶は、サイドとトップから三つ編みにしてお団子に結い上げています。当時にもこれだけ時間と手間のかかる髪形ができる方がいらっしゃったのだとすれば興味深いことです。お肌のきれいさは大切に育てられたか、あるいは子供か。髪形も合わせて考えれば自然や神の託宣を受ける「者」あるいは仕える「(にえ)」のような存在なのでしょうか。

(日本考古学協会会員 佐藤智雄)

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