縄文のオト 1

石倉貝塚の鐸形土製品

資料名 鐸形土製品 たくかたどせいひん
見つかった遺跡函館市中野町・石倉町 石倉貝塚 いしくらかいづか
大きさ3㌢~7㌢
時期縄文時代 後期初頭 今から約4000年前

函館市教育委員会蔵

縄文のオト 1 

 夏、外からは風鈴の音が聞こえます。縄文にも風鈴にとても良くにた「(たく)」の形をした製品があります。主に土で作られていることから鐸形土製品とよばれています。鐸形土製品の「鐸」は、弥生時代以降の産物で、扁平な(かね)の中に(ぜつ)があり、上部の柄を持って振り鳴らす楽器です。素材も金属製のもののほか木製の「鐸」も文書に記されていて、ともに儀式の際に使用するものとの説明があります。

 今日ご紹介する鐸形土製品が発見された石倉貝塚は、縄文時代後期初頭の集団墓地でした。石倉貝塚は大元(おおもと)になった一段階古い一基の墓が中心にあり、その周囲を広場や立石・配石をともなう墓坑や掘立柱建物が同心状に配置され、外周を盛土遺構がめぐるという遺跡です。世界遺産となったキウス周堤(しゅうてい)墓群(ぼぐん)祖形(そけい)ともいえる遺跡が函館にありました。この遺跡から破片を含めると92点余りの鐸形土製品が発見されています。縄文時代の鐸形の特徴は土製で小型、器形、文様共に実に個性的な形をしているのですが現段階では用途は不明です。形が似ていると言うことで、鐸形土製品の利用方法が、弥生時代以降の「鐸」と同じである保障はありません。ただ、この土製品は墓やその周辺より多く発見される傾向が見られます。この傾向は石倉貝塚でも示されました。つまり、「葬送(そうそう)儀礼(ぎれい)埋葬(まいそう)儀礼(ぎれい)にかかわりのあるもの」という性格を認めることが出来るでしょう。

 土製品の形は小さな風鈴のようです。つるすための小さな「(ちゅう)」と、ぐい飲みのような「(み)」からできています。身は縦の断面が釣り鐘形となるものが多く、横の断面は円形のものもありますがほとんどは楕円形となることが特徴で、広く平たい側面には後期初頭らしい入組み文様などが描かれています。丁寧に作られたものには、粘土紐で入り組み文を描き、その形状をなぞった線でレリーフ状の装飾をしたり、朱を塗ったりしたものも見られます。また、身の内面には炭化物の付着しているものがあり、香を焚き染め(たきしめ)るなど特定の用途を持っていたものもありそうです。鐸形土製品と同時期の製品に「切断蓋付き土器」とよばれる容器があって、小型のものですが戸井貝塚の例では、内部にはススが付着して、灯火を燃やしたような痕跡が残っていました。同様な状態の鐸形土製品とのかかわりが想定されます。

 鐸形は壊れ方に特徴があります。それは「身」の下の方が欠けているものがほとんどであるということ。これは吊り下げられているときに落下して破損したか、吊り下げられた際に隣のものとぶつかって膨らんだ裾の部分が壊れたのが原因と見ることができるでしょう。

 記録で確かめられる古い葬送儀礼としては、ヤマトタケルに殺されたクマソの雄、カワカミタケルの埋葬の例があります。参列者は「鏡」「剣」「勾玉」を石で模して「紐で枝からつり下げたもの」を手にしてそれを遺体に捧げて送ったと言う記述です。この「鏡」「剣」「勾玉」は5世紀台(古墳時代)の遺跡に伴うもので、発掘調査でも実際に出土します。 

 鐸形土製品にも鈕があり、破損の状態から紐でつるされるという同様な使われ方をしたとみて良いでしょう。森町の鷲の木遺跡から名物駅弁の「イカ飯」の形をした鐸形土製品が出土しています。鷲の木遺跡もまた、集団墓地遺跡ですね。

 金属製の鈴や風鈴が鳴り響く音は魔を払うといわれています。縄文の墓から見つかる土製品に舌はありませんが、互いがふれたりあたったりするとコンコンコロンコロンと鳴ります。墓地に響く鎮魂の音だったのかもしれません。 

(日本考古学協会会員 佐藤智雄)

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