縄文のオト 2

土偶脚部正面

資料名 土偶脚部 どぐうきゃくぶ
見つかった遺跡函館市 庵原町 いおはらちょう 女名沢 めなさわ 遺跡
大きさ8.4㌢×8.6㌢×3.9㌢
時期縄文時代晩期中葉 今から約2500年前

縄文のオト 2 

 縄文のオトを聞いたことがありますか。縄文のオトやウタを想像したことはありますか。もちろん縄文時代にもオトはあったでしょう。雷のように地球が鳴らす音や、冬の風が竪穴住居にぶつかって聞こえる虎落笛(もがりぶえ)。それは自然の音。縄文人の話し声や笑い声。それは人が創ったオト。

 筆者が聞いてみたいと願うのは彼らが作ったウタや旋律です。彼らにはきっとウタもありました。彼らにウタがあったと考える背景には、彼らはオトを出すことを目的とした道具を持っていたからです。楽器は声やウタや旋律とともに使われたにちがいありません。 

 今日ご紹介するのは胴と足だけ。土偶の一部です。臍から上と左脚はなくなっています。しかし右側の脚はかろうじて無事です。この土偶、上下させたり、回転させるとカラカラと高い音がでます。中には小石が1つ入っているようです。これは赤ん坊をあやす「がらがら」や民族楽器の「ラトル」のようなものと考えられます。「偶然では?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、共鳴する音量や音が鳴り出すタイミングから、扁平な面のある適度な大きさの礫が入れられていると想定されるからです。偶然の産物ではないでしょう。長野県茅野市の棚畑遺跡や長峯遺跡からは中期の土鈴が発見され、北陸地域でも後期の土鈴が発見されています。北海道では余市町の沢町遺跡から振ると繊細なオトのする晩期の楽器が発見されています。縄文人は器の中にオトのタネを入れて振ることで音のする道具が出来ると確信して作っていたと見られます。女名沢遺跡と沢町遺跡、こんな資料があるなんて縄文晩期の遺跡は何が出てくるか分かりません。こと余市町の遺跡は、遺物の振れ幅の広さに思わず感服してしまいます。

 金属で作られた鈴は振ると澄んだ音がします。その音色は闇に潜む魔を祓うものとされ、お守りや根付として私たちの身近に存在してきました。小さくかわいらしいペットが魔に突然襲われて連れ去られたり、神に仕えたり仕事を共にする大切な馬が魔によって暴れ出したりしないように鈴を付けて守りました。

 土鈴は音も低く鈍く決して遠くに響いたりしませんが、そのオトは彼らが手元にある素材でオトのでる「道具」を作っていたり、自分たちのオトの世界を持っていたということの証拠といえるでしょう。

 函館の遺跡から発見されている音の出るものと言えるものは後期の鐸形土製品、土笛、そのほかには高岱町日の浜遺跡から出土した晩期の土笛やボタン状石製品(※ボタンスピナー)谷地頭からは石笛といわれているものも発見されています。博物館には日高地方から発見された珍妙な形の石笛といわれるものや、函館山山麓の谷地頭から発見された石笛などもあります。業界ではかなり有名なのですが、どちらも自然に開いた貫通孔のある石です。「鳴らせば鳴る」事には間違いはなく、楽器としての可能性を否定するものではありませんが、積極的に肯定できる工夫や加工が見られません。しかしこの土偶は間違いなく鳴具の「ガン」と共鳴空間を持つ「そとみ」からできていて「作られた楽器」と言うことができるでしょう。

 『亀ヶ岡文化期の土偶の下半身、胴の一部と左側の脚部が残る。中空でかなり細くくびれた胴部、膝下は膨らみ脚は下辺が若干すぼまる。脚と身体にはレリーフ状の工字文が大胆に施文され(遮光器)土偶終末期の特徴が良く表されている。脚の空間には小石があって、土偶を上下左右に揺らすと脚に共鳴して音が出る。股間には女性器が表現されている。』レポートに記載するならこんなもんでしょうか。修行足らずでは筆舌に尽くせない可能性のある縄文の遺物です。そうそう、この土偶は中空でした。今のところ函館市内では3点目の。

いつか皆さんにこの音をお聞かせする機会があればと願っています。

(日本考古学協会会員 佐藤智雄)

注釈
※ボタンスピナー:紐を通して引いたり縮めたりして音を出します。イギリスでは5000年前の遺跡から発見されています。日本では晩期の北海道と北日本で発見されています。
日本では「ブンブンこま」の方が通りがいい。函館市内からは2点発見されています。

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