女名沢の呪術師

土偶正面 
土偶背面

資料名土偶
見つかった遺跡函館市庵原町 女名沢遺跡出土
大きさ高さ8㌢
時代縄文時代晩期(今から約2500年前)

市立函館博物館蔵

女名沢の呪術師

 これは、今から2500年ほど前の縄文時代晩期中ごろの土偶です。函館空港の東側、汐泊川の中流にあたる函館市庵原(いおはら)にある女名沢(めなさわ)遺跡から発見されました。結成されたばかりの函館考古会のメンバー伊藤昌吉によって採集され、現在は市立函館博物館に収蔵されています。土偶は頭部と胴部で、大きさは8㌢と手のひらにのる大きさですが、不思議と重みを感じます。作られた土によるものでしょうか。

 筆者がこの土偶と出会ったのは31歳、現場担当者としてやっと切り盛りのできるまだ駆け出しの頃でした。博物館に展示してあった土偶の姿はなぜかとてもリアルで、衝撃的でした。晩期の土偶といえば遮光器土偶のような宇宙人か深海の生き物のようなものばかりと思っていたのですが、なんとこの土偶は発掘で出会った浜の女性たちにとても良く似ていたのです。何処かで会った誰かに良く似た土偶の顔、モデルが地元の方だからでしょうか、縄文人の技術でしょうか、この土地の空気のなせる業かも知れません。ともあれ、筆者の縄文感をがらりと変えてくれた資料でもありました。

 さて、縄文時代の土偶は、作り方が中空※1だったり中実※2に作られていたり、顔のあるものやないもの、その表現も写実的だったり怪異だったり、身体に衣服や装飾品をつけていたりと作られた地域と時間で様々な特徴を見ることが出来ます。

 この土偶は、中身の詰まった板状の土偶で、身体の厚さは1.7㌢。頭と胴の上半身が残り、下半身はまだ見つかっていません。顔の眉は1本であらわされたカモメのような眉に鼻がくっついています。ツクンと立った鼻先には孔が二つあけられています。目と口はコーヒー豆状で、薄目をあけているか目を閉じて眠っているようです。もしかしたら亡くなった方をモデルにつくられているのかもしれません。前髪には土器に使われる雲形文の表現のようなカールがかかり、両耳脇の髪はミズラに結われています。胸には乳房のふくらみがゆるやかに表現されていることから、胸前で合わせる革のコートかジャケットを着ているとみられます。それは、背面の中央に、大胆な入り組み文があしらわれていることからもわかります。ボタンなどの表現はなく右左を合わせてベルトか紐で締めるスタイルでしょう。襟元はVネックですね。腕はこの時期の土偶に見られるように肩から短くストンと降りて袖口からは外向きの手が覗いています。指の表現が見られないことから手袋をつけているのかもしれません。土偶を作っている胎土は、土器のものに比べてねっとりして細かく雲母片を多く含む特徴も持っています。含水によるものか、仕上げ方によるものか、生肌がツルツルで化粧土を仕上げにかけたようにとても滑らかです。正(腹)面に比べ、背面には貼りつけや、文様などの装飾はあまり見られませんが、背面の加工も立体的で、しかも、後頭部の中央には剥落痕が認められます。何かが付いていました。背面中央には大胆な入組み文が描かれていますが縁が若干つぶれ気味なのは剝がした後に整形したか、製作台の存在を想定させます。背面の頭部には「昭和7.6.20カメヲメナサワ ITO」と、発見された遺跡、発見の日時、発見者が朱書きされています。函館に就職がきまって博物館を案内されたとき、第一展示室のガラスの中央に展示されておりました。「土偶は好きかい」筆者と入れ違いに退職される千代肇さんが「函館地域を代表する晩期の土偶の1つ」として教えてくれたことを今でも憶えています。

(日本考古学協会会員 佐藤智雄)

注釈
※1厚みのある粘土で製品の中が空洞となるもの
※2粘土をこねてそのまま形作った製品

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