資料名 | 異形石器 |
見つかった遺跡 | 函館市浜町 戸井貝塚出土 |
大きさ | 3.24㌢×2.76㌢ 厚さ3.5㌢ |
時代 | 縄文時代中期末葉から後期初頭(今から約4000年前) |
市立函館博物館蔵 函館市指定有形文化財
打ち欠いて作ったヒト形の物語
異形石器は、いわば用途の特定できない剥片石器の総称です。素材を打ち欠いて作っているのは確かではありますし、出土品がえもいわれぬ精巧なできあがり方をしている様子を見ると、もう少し用途を特定して気の効いた呼び名がつけられないものかと思うのですが仕方がありません。縄文時代の石器は、狩や収穫、加工などの生業に使う「道具」なので、定形化したものが多くを占める中、クモヒトデや毛細血管の一部かと見まごうような形状をしたものがあり、その中には打ち欠きによってヒトや動物の形を作り出したものも含まれています。使い方によるものでしょう、折れたり壊れたりして発見されるものが多く、全体の想像は付かないのですが、細くて微妙にカーブして「耳かき」にちょうど良さそうなものや、クルミの「仁」を掘り出す作業に向いている形状のものもみられたりして、お正月に家でクルミを掘っている母への贈り物によさげな石器もあります。
戸井貝塚の異形石器はヒトガタで、堅く加工の難しいメノウ(玉髄)の外皮を素材にしています。そんな素材を拾ってきて、手を加えようとする縄文人の発想にも感心するのですが。素材にはメノウが冷え固まる際にできた自然の孔があり、そのアナを頭部中心の吊り下げ用にと意識して、偶の形に加工しています。孔があっても大丈夫。素材を使いこなす技量の高さに加えセンスまでもが伺えます。
異形石器は両手を広げた奴凧のような形で、わずかにくぼんだ下辺は脚の表現を現しているとみられます。この地域の中期末から後期初頭に当たる土偶にも下辺に脚の表現が現れ始めたものがあります。大きさは石鏃とほとんど変わらず、この大きさの材料なら加工はお手の物だったかも知れません。
ハクヘンを素材に定型の道具以外のものをつくる行為は、本州では縄文中期から、函館では中期の後半位から見ることができます。縄文時代の剥片石器は、さまざまな材料に手が加えられ、縄文人は実に器用に加工してゆきます。若者たちとの漁からは引退したおじいが、子供たちを前に「ちょいちょいちょい」と手慣れた手つきで、こしらえて見せた。そんな感じもしたりします。「お爺ぃ、すげえ」。確かに大人は子供のヒーローでなくてはいけません。
戸井貝塚からは、土で作られた土偶,鹿角で作られた角偶,礫で作られた岩偶,そしてメノウ-おそらく転石-で作られた異形石器が出土していることになります。土偶を多用するお祀りをしていたか、そのようなムラと人的な交流をもっていたことが推測されます。これは北海道の遺跡としては異例で、本州的な現象といえます。2000体を超える土偶のお祀りをしていたといわれる三内丸山遺跡や海峡南岸のムラとの交易やヒトの交流によりさまざまなモノや習慣が行き来した結果なのかも知れません。
それにしても、なぜヒトガタを作りたかったのでしょうか。異形石器は貝層から出土しています。製作に当たっての素材や打ち欠きの技法を使ったのは,それが得意だったからでしょう。とすれば製作者はやはり剥片石器を作る男性だったのかなと。大きさとしては石鏃と同じくらい。作る必要に迫られた。せがまれた。手慰み。1点だけの出土です。何かのカタシロかもしれません。
小さなシンボル、頭部があって、手足があって、貫通孔が1つ。角偶とこの異形石器は、よく似ていますよね。さらにいえば、形態も色も岩偶によく似ています。そんなところが意図されているのかもしれません。
(日本考古学協会会員 佐藤智雄)
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